ひとりで過ごす時間は、強くある必要も満たされているふりをする必要もない。
誰かと一緒にいると無意識に、そして無自覚に背負ってしまう役割を、そっとそこに置ける時間。
この町ではひとりでいる姿が特別に見られることはない。
歩く速度も、立ち止まる理由も、それぞれでいいという前提が静かに共有されている。
コートハウス950の部屋に入ると、日常的に聴き慣れている音の全てが遠のく。
自分のためだけの時間が流れていくリズム。
ゆっくり、ゆったり時間を気にせずに歩いてgaflo caféに向かう。

コテージの横を流れていた用水がその姿を変えて流れているのを眼下に眺める。
視座が変わるということ。
それは一人で過ごす時間がくれる特別な瞬間の中に眠っている一つの感覚。
ひとりでいると、その輪郭は少しずつ溶けていく。
考えなくていいことが増え、決めなくていいことが増え、自分を説明する言葉が必要なくなる。
自然は、ひとりの時間を「足りない状態」だとは扱わない。
森も、風も、光も、誰にでも同じ距離でそこに在る。
誰かと過ごす時間と同じように、ひとりで過ごす時間もその価値が変わったりしない。
ひとりでいることと、孤独であることは、似ているようでまったく違う。
ここでは、ひとりでいる時間が自分から切り離されることはない。
ひとりでいるのに、孤独ではない。
豊かさを胸に、一輪の花を併設のGATE Flowerfieldで選んで帰ろう。

そして明日は自分のために何をしよう…
ここは全てのBASEになる場所。
軽井沢エリアまで足を伸ばして、
Natural cafeinaにそこだけ現実から切り離したような心地良い空気を感じに行こうか

それとも、喧騒から離れた軽井沢ルヴァン美術館の美しいガーデンテラスで過ごそうか
せっかくだから新鮮野菜を発地市庭に選びに行こうか…。
どうせなら小1時間足を伸ばして、千曲川ワイナリーバレーでワイナリー巡りに行くのも楽しい。
目覚めた気分で決めていい。
一人の自由が与えてくれる自分の時間を心ゆくまで感じていい。
特別な景色じゃないから特別なんだ。